今月から「ローマの信徒への手紙」に入りました。1章では、人類の罪が延々と述べられます。その大元は「神を認めようとしない」ことです。「自分では、知恵があると吹聴しながら、愚かになり」「造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕え」たので、「神は彼らを無価値な思いに渡され」あらゆる悪徳を行うようになりました。不義、悪、むさぼり、ねたみ、殺意など、並べたてられた悪徳は、どれも私たちの心に棲みついています。ただ表面に現れないだけです。私たちは、それが普通だと思っていますが、罪のない状態とは、心の中の様々な悪徳がきれいさっぱり無くなることでしょうか。それ以前に油断すると、つい「人をそしり、神を憎み、人を侮」る心の傾きは、解消されることがあるのでしょうか。
よく分かりません。自分がどう変化しても、なくならないような気もします。
でも、赦されることは、あると感じます。それがどういうことなのか、わが身に起きた、起きつつある、やがて起こるであろう変化が、まだよく分かりません。ただ、「福音は初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」の一言が、最後に心に残ります。
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