2007年1月21日日曜日

マルコ福音書 第14章-2

ゲッセマネで恐れもだえ始めたイエスのそばで三人の弟子たちは何度起こされても眠りこけてしまいます。最後にイエスは「…もうこれでいい。時が来た。…立て、行こう。見よ、私を裏切る者が来た。」と言います。マルコの最初に出てくる、弟子を叱りつけるイエスとは違い死を覚悟した感じが伝わってきます。「私は死ぬばかりに悲しい。」「アッバ、父よ。この杯をわたしから取りのけてください。」と祈るイエスはそこにはもういません。

人は人生の重大な局面で、肚を決め静かな気持ちで「時が来た。行こう」と言う時が一度は来るような気がします。その時になってはじめてこのイエスの気持ちが僅かでも自分のものとしてわかるのかもしれません。それとも堪えきれずに逃げ出して、諦めきれずについていき、予言された通りイエスを否認して自分の厭らしさを直視しなくてはならなくなるのでしょうか。

「お前は…メシアなのか。」と問われイエスは「そうです。」と答えます。「…お前はあの連中の仲間だ。」と言われペトロは「…そんな人は知らない」と言います。

極限の状況に置かれた時わたしはどちらの返事をするでしょうか。

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