十二章ではイエズスは自分の死が近いことを悟り、ファリサイ派やサドカイ派に次々と自分の教えについて身を賭けて打ち込んでいきます。
今回心に残ったのは、『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』という言葉です。「家を建てるもの」とは当時のユダヤの人々、捨てた石とは彼らが殺すイエズスのこと、そのイエズスが死と復活の後世界を支えるいしずえとなるという意味です。ぶどう園の非道な農夫たちは、主人によって殺されてしまいますが、他の人に与えられたぶどう園そのものは主人の息子の死によって支えられるのしょう。
私たちも、自分が蔑んでいるものや忌み嫌っているものによって、知らないところで支えられているのかもしれません。実は一番見たくないものにこそ救いが隠されているのではないか、と思います。
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