2013年11月18日月曜日

ルカの14章を読みました。ここでは、弟子の条件が語られます。「父、母、…自分の命であろうとも、これを憎まないなら、私の弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついてくるものでなければ、…わたしの弟子ではありえない。」とイエスは宣言します。そんなことができるでしょうか。
ここでは同時に、神の招き(宴会への招待)のたとえが語られます。「畑を買ったので…」「牛を買ったので…」「妻を迎えたばかりなので…」と、人々は次々に招待を断り、自分が大事にしているものにしがみつきます。すると招待した人(神)は、貧しい人、体の不自由な人など、お返しができない人を連れてこさせます。その人たちは、持たざる人々、飢え渇いている人々です。神様の招きを敏感に感じとり、迷わず従う人々です。何かを所有していることは、幸福なのでしょうか、不幸なのでしょうか。

大事なものを手放せるかが試されている、のではありません。かすかに、でも確実に聞こえる呼びかけに、せめぎあい波立つ心の動きを超えて、ぶれずに応えられるかが、問われているのだと思います。