2014年4月14日月曜日

ルカによる福音の17章です。イエスは弟子たちに赦しを説きますが、弟子たちは「わたしどもの信仰を増してください。」と言います。これは「私たちの財布をいっぱいにしてください。」と同じ響きがあります。それに対してイエスは、からし種一粒ほどの信仰もない、と嘆きます。信徒のリーダーである弟子たちでさえそうです。らい病の癒しを願った10人もイエスに感謝を伝えに戻ってきたのは異邦人のサマリア人だけでした。ユダヤ人たちは戻ってきません。「信仰薄い者たちよ。」というイエスの怒りが聞こえてきそうです。何かを欲しがったり、持てる物を増やそうとしたりする人は、たとえそれが「信仰心」という名前で呼ばれる物であっても命を失い、欲しがらず手の中のものでさえ握りしめない人は、かえって命を得るのでしょう。どんなに大きな権限が与えられていても、しもべはしもべです。主(人)ではありません。自分は「とるに足らないしもべです。しなければならないことをしただけです。」と芯から思える時、放した手に光が満ち、ゼロから無限が溢れます。それは微妙な違いですが、決定的な違いです。同じ寝室に寝ていても一つの臼を一緒にひいていても、伝えることはできません。