2016年6月5日日曜日

ローマ人の信徒への手紙 14章から16章

ローマ人の信徒への手紙14章から最後の16章までを読みました。3章分を一気に読むと、その内容よりもあらためてパウロ自身のすごさを感じます。独特の有無を言わせない行進のようなリズムで、読むものに迫ってきます。それは、自分の考えを伝えようとする書き方ではなく、まるでパウロから溢れだした確信が私を押し流し、キリストの元に連れていこうとするようです。「私が生きるのではなく、キリストが生きる。」という喜びに満ちた確信は、私の戸惑いなど歯牙にもかけてくれません。正直「ちょっと待ってくれよ。」と思います。パウロの手紙を読む時、二千年の時を超えて、この押し寄せるエネルギーと直接対峙せざるをえなくなります。それはいつも、待ったなしです。
自分の死さえ全く怖れず、信じるものを曲げない相手は、すべてを投げ捨てて帰依するか相手を殺すかの二者択一しかない、という言葉を思い出します。事実パウロは殉教します。しかし、パウロから溢れ出たエネルギーは、パウロ個人を超えて今も溢れ続けています。心の泉から湧く命の水は、案外熱湯なのかもしれません。