2013年12月22日日曜日

 ルカ福音書の15章です。ここでは「放蕩息子のたとえ」が語られます。今回新しい気づきがありました。それは、弟が父に財産の分け前を要求した時「父親は財産を二人に分けてやった。」とあり、兄の分も与えているのです。その後、弟は放蕩の限りを尽くした後我に返って「回心」をします。回心は「方向転換して立ち返る」意味です。一方まじめな兄は、父と一緒に働き続け、弟への父の歓待を見て腹を立てます。弟が戻った喜びは兄にはありません。息子の義務を果たそうと、我慢してまじめに働く兄の姿を感じます。弟の回心はわかりやすく劇的です。一方兄は、父のそばに居ながら父の顔を見ていない気がします。自分の在り方に自信があるので、親不孝な弟や親ばか丸出しの父に非難の視線を投げつけます。自分に与えられた財産には気づきません。兄に「方向転換」の恵みはあるのでしょうか。自分の正しさの根拠を自分の外に求め、それをもとに他者を裁く兄に、つい自分が重なります。兄に赦しは来るのでしょうか。あるとすればそれは、自分のまじめさを笑ってしまうことでしょう。兄の赦しは、緩むこと。握り締めた手を開くこと。緩んで開いた隙間から、笑いと光が差し込みます。それは彼方からのエネルギーに溢れています。