2015年6月3日水曜日

ローマの信徒への手紙 4章



ローマの信徒への手紙4章です。ここでは、律法を守るから義とされるのではなく、神を信じるから義とされることが、アブラハムの模範を元に、繰り返し語られます。また、割礼に触れ、ユダヤ人でなくとも、信仰があればすべての人が義とされると言い、キリストへの信仰が全世界に広がる基礎を作ります。「アブラハムは信じ」というフレーズが繰り返され、また、「実に、律法は怒りを招くものであり、…信仰によってこそ世界を受け継ぐ者になるのです。」とあります。

確かに、律法だけでは、決まり事を守ることに終始し、規範通りにしているか、人と自分を裁く視線が自分そのものになります。そこには怒りしかありません。律法を振り回す自分が自分の主人となり、逆に律法に振り回されています。では、信仰とは何でしょうか。信じることは、行いではなく、知識ではなく、ましてや心の在りようでもありません。それは「自分は確かに赦された。」といういただいた実感であり、そこから湧き出てくる喜びであり、喜びに裏打ちされた他者への祝福であると感じます。「人の罪である死の棘」が、抜け落ちたことの悦びです。いやなことや苦しいことが無くなるわけではありませんが、中心にある「赦されている喜び」と一つになっていたいです。