2015年8月4日火曜日

「ローマの信徒への手紙」 6章

「ローマの信徒への手紙」6章です。ここではキリストの死と復活が、実は私たちの死と復活でもあることが語られます。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは…もはや罪の奴隷にならないためである。」「あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」そう簡単に考えられますか?洗礼を受ける時「白い衣を受けなさい。」と言われ白い布を肩に掛けられました。あれは、これまでの罪が赦されて新しく生まれ変わった、という意味だそうです。生まれ変わった感じがしましたか?
自分の面子にこだわり、自分の欲望に引きずられ、未来や今の生活の心配ばかりして、他人が思い通りにならないことに不満ばかり述べている自分、罪深い自分はいまだにここにいます。ともすれば、心はそれでいっぱいになってしまいます。でも、わたしたちは、それがすべてではないことも知っています。自分の思いの向こう側から、それをつらぬいてやってくる光があります。回心とは、醜い自己愛ばかり間近で見つめることではなく、肩の力をぬいて、やってくる自分を超えたはたらきに満たされることだと思います。うまくいったぞと思い、自分を過信したとたんに、それは消えてしまいます。握りしめずにはなちつづけること、むずかしいですね。