2014年10月30日木曜日

ルカ福音書の22章です。最後の晩餐と逮捕の場面です。ルカのこの場面は、イエスの弟子たちへの徹底した優しさと気遣いに満ちています。拷問シーンもほとんど描かれません。「あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと切に願っていた。」「あなたがたは…絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。」やがて自分を否認するペトロにむかって「シモン、シモン…わたしはあなたのために信仰が無くならないように祈った。」また、自分の心配を理解できない弟子たちが、トンチンカンな答えをしても「それでよい。」と言い、大祭司の手下の耳を切り落とす弟子に「やめなさい。もうそれでよい。」と言います。まるで、弟子たちがこれから体験する自分の死後の苦難と復活後の聖霊降臨のすべてを見通して、「今はそれでよい。」と言っているようです。死を覚悟した者の慈愛に満ちたまなざしを感じます。日々の生活の中で、自分の愚かさや力不足にがっかりする時、劣っている自分に直面しなければいけない時、「今はそれでよい。」という言葉は、つらさを抜け出す大きな力になります。