2015年1月25日日曜日

ルカによる福音書、最後の復活の場面を読みました。ここでもイエスは、とても親切です。エマオへ向かう二人の弟子に「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明され」るほどです。今回心に残ったのは「なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか。」という天使の言葉です。イエスの復活を聞いた使徒たちには、「この話がたわ言のように」思われました。また、いきなり「彼らの真ん中に立」つイエスを亡霊だと思い恐れおののきます。現場にいたらなら、わたしだって絶対にそう思います。イエスは、用意させた一切れの焼き魚を「彼らの前で食べ」て見せます。まさしく「イエスは生きておられる」のです。「復活」は蘇生でもなければ、幽霊でもありません。「復活」は知的な理解を拒みます。自分自身の受難をイエスと共に体験し、苦しみの中から喜びに満ちて戻ってくる体験をしなければ、わからないのだと思います。

そんなことができるのだろうか。わたしはそんなに強くない。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。…まさしくわたしだ。」