2017年7月22日土曜日

マタイ福音書10章


マタイ福音書の10章です。ここでは12使徒に福音の宣べ伝え方が語られ、それゆえの迫害が予告されます。迫害を怖れず常にイエスの仲間であると言い表し、親兄弟よりもイエスを優先するよう求められます。一見過酷な要求ですが、そのためにあらゆる病気を癒やす権能を最初に授けられています。
ところで、私たちはキリスト者がいない場所でも、主を信じる者の顔をしているだろうか。信者であることが伝わると、急に黙られてしまったり親しげな様子が遠退いたりするのが怖くて、故意に伝わらないようにしていないだろうか。私はそうしてしまう時がある。でも、それをすると私の信仰は、状況によって使い分けるただの仮面の一つになる。信者であることを不自然に言いつのる必要はないけれど、必要があったり言いたくなったりした時は、迷わず口から出そうと思う。それは、小さいけれど確かに「宣べ伝える」ことの促しだから。その言葉がどうなるかは、御手の働き、案外好意的な反応が返ってくるかもしれない。
「そのときには、言うべきことは教えられる。実は話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」