2016年9月19日月曜日

マタイ 1章

『マタイによる福音書』を読み始めました。1章では、イエスの系図と誕生が語られます。福音書は、イエスが旧約で約束されていた救い主であることを証しするために書かれました。「救い主はダビデの子孫から出る。」という預言に沿って系図を表し、「乙女が身籠もって男の子を産む。」という預言を聖マリアに当てはめます。
閑話休題、最近「大切」という言葉に、ふと「なぜ大事という意味に、切るという漢字が使われているのだろう。」と疑問に思い、調べてみました。「切」には「切ない」「切々と」など、切断とは別の意味があり、それは「鋭利な刃物を押し当てること」から転じて「ぴたりとくっついて動かないこと」という意味だそうです。たしかに、大切な相手には良い悪いの価値判断をする以前に、気持ちをぴたりとくっつけています。それは、少しでもずれれば、相手を切り裂いてしまう日本刀のような鋭利な刃物に似ているかもしれません。「大切にする」ことは、懐に抱き肌に付けて離さないこと。それは、実は真剣勝負なのかもしれません。「神の愛」は、最初「神のご大切」と訳されたそうです。『…その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は「神は我々と共におられる」という意味である。』