2015年12月12日土曜日

H28 1月例会のお知らせ

12月は、平賀司教様の黙想会を例会に替えました。司教様は「神のいつくしみ」について、また「神は人間を創造した責任を感じておられます。」という教皇フランシスコの言葉について話されました。私が印象的だったのは講話の後の質問で「神さまのいつくしみは、頭では分かるのですが、なかなか腹に落ちません。どうしたら、ドスンと腹に落ちる分かり方ができるのでしょうか。」という質問に「神さま、わたしにあなたのいつくしみを腹で分からせてください、とお願いしましょう。」とお答えになったことです。この質問と全く同じ事を私も常々思っていました。どうしたら、確信に満ちた信仰が持てるのでしょうか。何を努力したらよいのでしょうか。毎日祈る時間を作る?祈り方を工夫する?回りの人にキリストを見出す?でも、それができない自分がいます。私は一番大事なことを忘れていました。わたしを変えてください、とお願いするのです。早急に何かになろうとせず、お願いしてじっと待ちましょう。信じて待つこと、希望を持って待ち続けることそのものが、実は「祈り」だと思います。自分という乗り物の一番よい席は、与えられるもの、外からやって来るもののために、空けておきましょう。そこから光が差します。