2017年5月7日日曜日

マタイによる福音書 7章

マタイによる福音書の7章です。有名な言葉「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。・・・まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば・・・兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」おが屑が気になる兄弟は、自分が映った鏡なのかもしれません。見ているといらいらする相手の顔は、実は自分の顔なのでしょう。でも、自分の丸太は大きくてとても無くなりそうにない、自分の罪は根深くまるで自分そのもののようだ。私には、できそうもない。でも、主の力を願えば・・・。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。」自分のために願うことは、悪いことではありません。「何でもかなえられる。」と言われると、我が儘だ、と思います。でも、苦しい時や心配な時、神さまに心からお願いしてお任せすれば、あとは安心できます。願いが叶わなくても、苦しみや心配の元を必ず取り去ってくださいます。ましてや「私が御心のままに変わりますように。」と願う時、それは、自分の深いところに神さまが刻んでくださった本来の姿が発現するよう願うこと。丸太もおが屑も、たいした事ではなくなって、脱ぎ捨てることができるでしょう。手を開いていましょう、些細なことを握りしめ、目をつぶってしまわぬように。顔を上げていましょう、やってくる大事な働きを見落とさないように。やがて来るものは、すでに与えられているものなのかもしれません。