2007年7月16日月曜日

(七月)

例会では、使徒言行録を読み終わりました。通読して印象に残るのはやはりパウロの宣教のエネルギーです。最初に神様から宣教の使命を受ける時「なぜパウロに…」という質問に、神は「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」と言われます。しかし、客観的には苦しみの連続である宣教旅行をパウロは喜んで行っているように見えます。ローマに連行される船が嵐にあった時でさえ「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」と、同乗者を元気づけます。パウロにはゆるぎない確信があるのでしょう。それは、ダマスコで天の光の中で神に呼びかけられた回心の体験がいつも彼の根底にあるからだと思います。

さて、パウロほど劇的でなくても私たち一人ひとりは信仰の道を歩むよう神に呼びかけられた体験を持っているはずです。それは、人を通したみ手の働き、説明できない内心の動き、祈りの中での穏やかなうながしなどいろいろな姿だったでしょう。説明への論理的納得ではなく、不安からの逃避でもなく、湧きおこるように与えられた疑いえない真っ白な確信を忘れることなく、パウロのように光の中を歩みたいと思います。

(六月)

六月は、テゼの祈りを例会に替えました。テゼの祈りをするたびに思います。皆で声を合わせて歌っているといつしか心が静まって、自分の中の何かが見えてきます。絶えず頭の中を巡っている思いがしゃべることを止めて、その奥にある自分を動かす力を感じます。テゼの祈りの中で「いつも歌っていなさい。歌いたくないときでも歌えないときでも、絶えず歌いなさい。」という言葉がありました。

私的な思いになりますが、例会で使徒言行録を読む時、私の気持ちはパウロに満ちている神の息吹よりも、厳格さと強烈な自我の固さと他者を裁く視線で凝り固まっているパリサイ派にひきつけられました。自分自身の問題と重なっていたからです。それはまた現代のあらゆる場所にある真面目さとも重なります。ある時ふと「闇はいつもある。しかし好んで闇だけ見つめてもしょうがない。」と思いました。ポロリとかさぶたがとれました。闇は消えることなくいつもつきまとうけれど、同時に闇よりも大きな光に身をゆだねようと思います。

すべてのものは祝福されてあるという認識、その継続と展開が勝負のしどころです。

(五月)

主の平和

今回は、例会のお知らせではありません。

「いずみとぶどうの会」が主催するお祈りの会のお知らせです。

「テゼの祈り」といいます。簡単な短い歌を繰り返し歌うことで祈る心を深めていくものです。歌がうまくなくても大丈夫、信者であるなしも問いません。

忙しい毎日の生活をひと時はなれて、自分の気持ちと心を休めてみませんか。

お待ちしています。

(四月)

例会では、使徒言行録の二十二・二十三章を読みました。パウロは、エルサレムで自分の回心を話し、福音を伝えようとします。しかし、人々は「こんな男は、地上から除いてしまえ。」と言い、最高法院では、パウロの言葉をめぐって激論が起こります。パウロを暗殺する誓いを立てるものさえ現れます。なぜパウロは同胞であるユダヤ人からこんなにも憎まれるのでしょうか。それは、イエスが救い主(メシア)であることを彼らが受け入れないからです。それ以上に、私にはパウロとユダヤ人では、見ているものが違うような気がします。パウロには主イエスが「勇気を出せ。」と直接語りかけます。そこには、神から息吹かれた確信と喜びがあります。一方律法を遵守するユダヤ人には人としての思い込みや頑なさを感じます。死を恐れずに福音の喜びを伝える人に対しては、これに帰依するか殺してしまうかのどちらかしかないと言います。さて、もし私が当時のエルサレムにいるとしたら、どちらの道をとるでしょうか。自分の思いや自分の正義をすべて投げ捨ててパウロが伝える福音を信じると、言い切る自信がありません。

(三月)

先月は使徒言行録の二十一章を読みました。ここでパウロは多くの信者が止めるのを振りきってエルサレムへ上ります。「…主イエスのためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」と言います。そして、エルサレムでは、神殿の境内で捕らえられリンチにあっているところをローマ人の千人隊長に逮捕されます。パウロはなぜこんなにもユダヤ人に忌み嫌われたのでしょうか。それはパウロを捕らえようとユダヤ人が叫んだ言葉「…この男は、民と律法とこの場所(神殿)を無視することを、至るところでだれにでも教えている。」から端的に分かります。また、ユダヤ人で信者になった熱心な律法の遵奉者の間でも「『子どもに割礼を施すな。慣習に従うな。』と言って、モーセから離れるように教えている」と思われています。パウロはモーセの律法を守るな、と教えたわけではなく、異教からの回心者には律法もまたそれを守る必要がないことを教えただけです。なぜなら、人は律法ではなくイエスへの信仰によってのみ義とされるからです。ここで描かれているのは実はユダヤ教とキリスト教の対立ではなく、律法(決まり)を守ることで正しい道を歩むことができるのか、それとも律法より神の愛を生きることが優先するかの対立です。この場面を読む時、ユダヤ人=悪者と思いがちですが、私の中にも実はこの律法遵守主義が隠れている気がします。それがモーセの律法でなく教会の決まりでも実は全く同じことだと感じます。義務として「正しい」とされることの影には「正しい」基準で他者を裁く視線が必ず内包されています。それは自分自身の力では払拭できない自分の闇です。闇から抜け出す方法はただ一つ。さて…。

(二月)

二月の例会では、使徒言行録の二十章を読みました。ここでパウロはエルサレムに行く前の決意を告げます。「ただ、投獄と苦難が私を待ち受けている…しかし、自分の決められた道を走りとおし、…神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度と私の顔を見ることがないと私には分かっています。」その後、パウロは皆と一緒に祈り、人々は激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻します。パウロのこの強さ、疑いのなさはいったいどこから来るのでしょうか。「神の呼びかけに応じた」という言葉ではよく分かりません。「神の福音を人々に告げ知らせる喜び」と言われてもそれがこれだけの苦難をものともしない力になるのでしょうか。言葉や理屈では分かるのですが私には実感がわきません。それが本当に分かる時は自分が変えられる時なのかも知れません。

(平成十八年一月)

使徒言行録の十九章を読みました。ここではめずらしくパウロのユダヤ教以外の宗教との対立が描かれています。パウロは商都でもあり観光都市でもあるエフェソで二年以上も伝道し福音を広めます。一方でパウロの教える福音のため商売を妨害されそうになった銀細工師がパウロ排斥の暴動を扇動します。アルテミスの神殿の模型を作って儲けていた彼らにとって『手で造ったものなどは神ではない』というパウロの発言は都合が悪いものだったのでしょう。扇動されたエフェソ人たちは「『エフェソ人のアルテミスは偉い方』と二時間ほども叫び続けた」といいます。この言葉に私は、扇動された群衆の中にある素朴な反発を感じます。福音はパウロによって確かに広がりましたが、それを信じない多くのエフェソ人にとって、それは異教の神が勢力を広げるように思えたのでしょう。ユダヤ人への反発もあったのかもしれません。この反発は日本人である私の中にもある気がします。洗礼を受けたころ「生け贄の子羊」「血の贖い」という言葉にどうしてもなじめなかったことを思い出します。逆に節分や七夕など、元をただせばキリスト教以外の宗教から派生した行事は今でも違和感なく受け入れています。もしかしたら私の信仰は頭のてっぺんだけのものなのかもしれません。イエスの教えと体にしみついた民族宗教のにおいに矛盾を感じる時、暴動に際してのパウロの行動が大きなヒントになります。彼は命の危険を顧みず「群衆の中に入っていこう」とします。矛盾ばかり見つめて立ちすくんでいないで、自分の確信と喜びを告げ知らせよ、と言われた気がします。

(十二月)

十二月は「テゼの祈り」を例会としました。「テゼの祈り」の中で声を合わせてくりかえし歌っていると、自分をぎゅっと締めつけているものが少しずつゆるんで、ほっと息をつける感じがします。どこにいても忙しく働く頭が動きを止める気がします。歌を指導していただいた方が、祈りの中で言いました。「自分の限界や病、弱さ、悩みをそのままベツレヘムの馬小屋へもって行き、赤ちゃんのイエスに差し出しましょう。」最初は自分のみっともない姿なんか絶対に晒せない、と思います。でも、繰り返し歌っているうちに少しずつ、情けない自分を大事にしてやりたくなります。すると、今まで、憎しむだけだった相手や無理解を嘆いていた相手が別の顔をしていることに気づきます。自分をしめつけるものがゆるんだ、その隙間から見える人や世界は、いたってのんびりのほほんとしています。憎しみや瞋りは、どうやら締めつけている自分の内側にあるようです。その闇をそのままさし出すことができれば、と思いますが、あまり自信がありません。

(十一月)

使徒言行録の十八章を読みました。パウロはコリントの街で、ユダヤ人たちに「メシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので」『「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしは異邦人の方に行く。」』と言います。また、ユダヤ人たちは、パウロを地方総督の前に引き立てていき律法違反を告発しようとして総督にあきれられます。言行録には、このような場面がたくさん出てきます。ユダヤ人たちを説得しようとするパウロとパウロを異端として断罪しようとするユダヤ人たち。ローマから来た地方総督には、地方の一宗教の内ゲバとしか見えなかったでしょう。しかし、ユダヤ教とキリスト教の関係を考えると、この時期は、キリスト教の胎動期とも言えます。パウロはユダヤ教徒が待ち望んでいる「メシアはイエスである」という福音を一番に同胞のユダヤ人に伝えたかったのでしょう。しかし、ユダヤ人たちはそれを異端としか見ません。やがてイエスを救い主とする信仰はユダヤ教を離れ独立していきます。使徒言行録は、無理解なユダヤ人を非難するのではなく、キリスト教の独立の過程を伝えたかったのかもしれません。

(十月)

十一月の例会では、聖書を読まないで、パウロとペトロの生涯を描いたビデオを見ました。特にパウロの伝道旅行の様子が詳しく映像で紹介されていて使徒言行録を読む上で参考になりました。いくら文章をていねいに読んでも映像でなければ、現地の風景や海や花の色はわからないと感じました。私が特に印象的だったのは、パウロが旅した地中海の海の青さと荒涼とした街道の風景、ペトロが漁師をしていたガリラヤ湖畔の咲き乱れる花の美しさです。私たちはペトロへのイエスの言葉「わたしについて来なさい。」や、イエスキリストを熱心に語るパウロの言葉を文字でしか目にすることができません。しかし、そこには声の響きがあり視線があり何より体から発する力があったはずです。心理学に至高体験という概念がありますが、イエスやパウロの呼びかけは、それを瞬時に起こす力があったのかもしれません。現代の我々が直接言葉を聞くことができないのに、それでもイエスやパウロの文字としての言葉を通して神の導きを感じるのは、時間と空間を越えて無音の響きが聞こえているのだと思います。聖霊のはたらきとは、その響きと同じものだと感じています。

(九月)

九月の例会では、使徒言行録の十七章を読みました。パウロはテサロニケでべレアで、そしてアテネで福音を述べ伝えます。テサロニケでは、パウロを嫉んだユダヤ人たちが暴動を起こし、ふたりを探します。ユダヤ人にとって、十字架にかけられて死んだ罪人が神の子であるはずはなかったし、神に対する冒瀆だと感じたのでしょう。パウロの迫害を考える時、ユダヤ人はいつも悪役ですが冷静に考えれば、罪人として殺された人を神の子だと言い張ればユダヤ人の宗教感覚では、迫害して当然と言えるかもしれません。律法(神の掟)を守ることが神の国に入れる唯一の道だと信じていたのです。神の子がいるとすれば当然栄光に包まれて登場するはずです。磔にされた罪人であるはずはありません。これは、現在の私たちの感覚とも重なります。私たちは、正しい行いをする人がその代償として真っ先に救われるはずだ、とどこかで思っていませんか。その目が自分の内に向けば、自分のだめさ加減を嘆き、外に向けば、人のあらばかり見え他人を断罪します。信者はそうでない人の手本となるべきだ、というのも同じです。私はキリストが十字架にかけられて死んだ、という事実はこの感覚を真っ向から打ち砕くものだと感じます。『私は、正しい人のためでなく、罪人のために来た』という言葉。私が日頃蔑んでいる人や物。私の痛みを押しつけている相手。私の痛みや攻撃を無言で引き受けてくれる弱いもの。その中にこそ救いがある気がします。そして、自分が他人の嫉みや悪意を進んで引き受ける時、何かが大きく変わる予感がします。

(七月)

使徒言行録の十六章を読みました。ここではテモテという若者がパウロの同行し、また初めて「わたしたち」という言い方が出てきます。これは、言行録の記者がパウロに同行していたことを表しています。ルカ福音書と同じ人物ではないかと言われています。

さて、パウロがマケドニアで捕らえられ投獄された時「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」そして、大地震が起こり牢の戸がみな開き、鎖が外れても誰一人逃げ出そうとはしませんでした。牢獄ですから直接顔を見ることはできません。囚人たちはどこかから聞こえてくる賛美の祈り(歌)を聞いてうっとりしていたのかもしれません。それともなにかを感じて回心していたのかも…。

現代の私は、パウロの言葉を聖書を通して聞くことはできますが、パウロ自身が持つ霊性に直接触れることはできません。パウロの言葉の背後には、祈りの歌だけで囚人に影響を与える霊性があったのだと思います。多分その力は、喜びに満ち、赦しと光を感じさせるものだったのでしょう。

私は、言葉だけでなく相手の霊性まで聞いているでしょうか。私は言葉だけでなく姿で人に喜びをつたえているだろうか。

(六月)

使徒言行録の十五章を読みました。ここでは異邦人の信者にユダヤ人と同じように割礼を受けさせるかが問題になっています。つまり、キリストを信じることをユダヤ人と同化することと捉えるかいなかです。ペトロとパウロは激しく割礼に反対します。神は『彼ら(異邦人)の心を(律法や割礼でなく)信仰によって清め、わたしたちと彼らの間に何の差別もなさいませんでした。』ここで初めてユダヤ人であることとキリスト者であることが明確に区別されます。言い換えれば人種や民族を超えてキリストの福音を信じるかどうかという一点のみが重要になります。キリスト教が民族宗教を越える分岐点です。

ところでパウロはこうも言います。『先祖もわたしたちも負いきれなかった軛(くびき)を、あの弟子たちの首に懸けて神を試みようとするのですか。』割礼も律法も神との契約です。それを厳格に守ることが神の国に入る絶対条件でした。「~したから救われる。」「~を守っているから神の国に入る資格がある。」この感覚は形を変えて現代でも根強くあると感じます。まじめに熱心に信者の勤めを果たしても、それが喜びでなく義務である限り神の国は遠のくばかりです。教会の中にいるか外にいるか、聖書に詳しいかそうでないかは、もちろん重要ですがそればかりを見ていると本質を見失ってしまいそうです。

『あなたの罪を許された。…』この声が私に聞こえてくるでしょうか。

(五月)

先月の例会では使徒言行録の十四章を読みました。パウロとバルナバがいろいろな地で伝道する様子が書かれています。ここで印象に残ったのは、パウロの意志の強さよりもむしろ人々の心変わりの早さです。リストラの人々は二人を最初、神だと思いこみ牛の生け贄や花輪まで捧げようとします。パウロがやっきになって「わたしたちもあなたがたと同じ人間にすぎません。」と説明します。ところがユダヤ人に扇動されると、「パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外に引きずり」出します。この心変わりの早さは何でしょう。

人間は自分の見たいものしか見ない、と言います。パウロを賛美しようと憎悪しようと自分の思いに引きずられていることは同じです。自分の思いを越えて、来るものに耳を澄ますことの難しさを感じます。

(四月)

使徒言行録の十三章を読みました。パウロの最初の伝道旅行です。アンティオキアの会堂でパウロは求めに応じてイエスが救い主であることをのべ伝えます。また、ユダヤ人に限らず「わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが地の果てにまでも救いをもたらすために。」と異邦人にもイエスの救いがもたらされることを宣言します。それを聞いてユダヤ人はパウロとバルナバを迫害します。単純に考えるとパウロたちが善でユダヤ人が悪だと思いがちですが果たしてそうでしょうか。ユダヤ人は厳格に律法を守ることによって救いが得られると信じています。彼らにとってパウロは正しい教えを捻じ曲げる異端、魔術師と映ったのでしょう。それを迫害することは彼らにとっては神の教えを守る正義の行為であったはずです。自分が信じることを守るために他を迫害する行為はいつの時代もありました。真面目であればあるほどその度合いはひどくなります。かつてのパウロ自身がそうであったように。「まじめの悪徳」です。戦争も大量虐殺も真面目な人が起します。怠け者ではありません。キリスト教の歴史の中にも、そして現在の教会の中にも私たち自身の中にも「まじめの悪徳」は潜んでいます。「まじめの悪徳」に操られる時、私たちは自分のエゴを神と呼んでいるような気がします。

神さま「私たちの罪をおゆるしください。私たちも人をゆるします。」でも私たちは本当に心の底から人を赦すことができるのでしょうか。それは人間の業ではないような気がします。

(三月)

使徒言行録の十二章を読みました。しかし、話はパウロの手紙が中心になりました。パウロは初代教会の中でもラディカルすぎて孤立していきます。十、十一章で神の恵みが異邦人にも与えられることがわかった後、パウロは伝道旅行に出かけます。そして、自分が宣教した土地に後から手紙を送り、私が伝えたものの他に福音はない、と宣言し他の福音に対して「呪われるがよい」と言います。この激しさはどこから来るのでしょうか。普通、人は年を取ったら穏やかになるといいますが、パウロは七十近くなっても同じ激しさを持っています。きっと疑いえない確信があるのでしょう。それは、自分の回心の体験であり、その時聞いた神の呼びかけだと思います。この激しさと、イエスが安息日に麦の穂を刈るのをとがめたファリサイ派の根本的ちがいはなんでしょうか。人をとがめる視線と愛を伝えようとする態度のちがいでしょう。でもこの二つは、ともすると自分の中で知らないうちに入れ替わっています。自分が人に迫るとき、神の愛の名の元に自分の基準でただとがめようとしているのか、それともたとえ態度は厳しくても、自分を通して神が愛を伝えようとしているのか、よくよく吟味しなくてはなりません。

(二月)

先月は、私が風邪でいずみとぶどうの会に出席できませんでした。一人で聖書を読んでも、いつも会で感じるようなひらめきや啓かれた感じがありません。他の人と一緒に読むことがどんなに力になっているかをあらためて感じます。人の意見や自然など外側から来るものは、自分と異質な塊として入ってきます。それに触発されて自分の中から思いもよらない思いや感想が出てくるときがあります。音の共鳴に似ているかもしれません。自分の思いをぎゅっと握っていると外からの音に自分が響かなくなります。反対に自分へのこだわりが少ないと他者からの発信に自分が心地よく響くのを感じます。その響きあいの背後にはいつも無音のここちよい響き、神の響きがあることに気づきます。ある時は小さく、ある時は轟音として鳴り響いているその響きにいつも耳をすましていたいと思います。

(平成171月)

1月の例会では、使徒言行録の9章「サウロの回心」を読みました。キリスト教から見ると主の弟子たちを殺そうとしていた回心前のサウロは極悪非道に見えますが、本人にしてみればユダヤ教の異端を排除する正義心からの行為だったと思います。そこに私は残虐さよりも、激しさと妥協を許さない真面白さを感じます。そのサウロが主の声を聞き、目からうろこのようなものが落ち回心します。その時、サウロの今までの悪事を非難するアナニアに、主は「あの者は、…わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」といいます。事実、熱烈な弟子となったサウロは妥協的なベトロを非難し、弟子たちからも孤立していく面があります。しかし、キリストへの信仰が唯一であり律法より優先すること、割礼を受けているかいないか(ユダヤ人であるかないか)は関係ないことを宣言したのもパウロ(サウロ)です。キリスト教がユダヤ教から訣別し、より普遍的な宗教として広まる基礎と神学を確立したと言えるでしょう。その際のたくさんの困難を越えてキリストの信仰を広める力があったからこそ、主はサウロを選んだのだと思います。その力の源泉は「主への畏れ(うやまい)」と「聖霊で満たされていた」ことではないでしょうか。頑なな思いからではなく、泉のように湧いてくる柔らかな活力があったからこそ成し遂げられた偉業だと感じます。

12月)

12月は「テゼの祈り」を例会に替えました。東京から植松さんが来てくださり、20人ほどの参加者で行われました。神父様の祝福もあり、祈りに満ちた会になりました。私は何回か参加しているのですが、その度に忘れていた静かな気持ちを取り戻せます。テゼの祈りを楽しみにしている方もいて必ず参加してくださいます。

今回の祈りの中で「わたしが疲れて元気がなくなり歌えなくなった時、誰かが私のために歌ってくれる」という言葉がありました。心に残りました。私たちはいつも、「困った人を助ける」「他の人のために働く」など助けたりほどこしたりする立場にいる気がします。人のお世話になると心苦しくてしかたがありません。でも、本当は人に助けられて生きる、困ったときに人の助けを感謝していただくことこそ大事なのかもしれません。人を助すけ、ほどこす時ついつい大きな偉い自分になっています。人に助けられる時、自分の小ささを実感します。助けられる時、人は他者に対して聞かれるのかもしれません。

11月)

11月の例会では、使徒言行録の8章を読みました。そこに聖霊を受ける話が出てきます。聖書の中では聖霊がよく奇跡を伴って出てきます。現代でも異言や癒しを中心とした運動があります。私は正直死人が生き返ったり中風患者が突然直ったりする話をにわかには信じられません。聖霊とは何でしょうか。奇跡を起こす力でしょうか。この8章に魔術師シモンが出てきます。彼は洗礼も受けフィリポにつき従っていたのですが、聖霊を授ける力を金で買おうとしています。いくらフィリポのそばにいても彼にとって聖霊は奇跡を起こす不思議な力でしかなかったのでしょう。それは大きな力ですが、魔術の延長でしかありません。しかし、「霊」は同時にフィリポにエチオピアの高官を追いかけさせ、彼にキリストを知らせます。奇跡の背後にあるもの、奇跡を通して語られる言葉に耳を傾けなければ聖霊の意味は分からない気がします。イエスの言葉に『見ないのに信じる人は幸いである。』というものがあります。奇跡が起こるのを見て信じるのか、証拠がないと信じないのか、もっと信用できる証拠があれば別のものを信じるのか。それではまるで物を買うのと同じです。疑りぶかい私に絶対的に正しい真実を与えてくれるのが聖霊の力なのかもしれません。

10月)

10月は、使徒言行録の67章を読みました。ステファノの殉教の場面です。ステファノは自分の正統性を主張する弁明の最後に最高法院の祭司たちを糾弾します。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたはいつも聖霊に逆らっています。…あなたがたがその方を裏切る者、殺すものとなった。」人々は「激しく怒り」「歯ぎしりし」「大声で叫び」ステファノの言葉が聞こえないよう「耳を手でふさぎ」石を投げて殺してしまいます。この祭司たちは、悪人ではありません。ただ自分たちが信じていることに堅い信念を持っていただけです。分かち合いの中で「私たちは信念を持ってがんばればがんばるほど分裂する。」という言葉を聞きました。殺し合いや戦争をする人は悪人ではなく、ただ自分の信念を信じて疑わないだけです。

聖書の原語では「霊と風と息」は、同じ言葉を使うそうです。どんな人でもその人の息はすべて神様の霊の働きです。どんな人の中にも霊が息づいています。だから自分に投げられたどんな言葉も神の霊の言葉です。自分に都合のよい「雄牛の像」に神を見ることは簡単です。でも、本当は今隣で生きている人の中に神様はいて、私たちに語りかけます。肩の力を抜いて、風の音を聞くように神様の生の言葉を聞きましょう。

(9月)

暑かった夏も過ぎ去り、そろそろ肌寒い季節になろうとしています。9月の例会は2ヶ月ぶりで、懐かしさに話に花が咲きました。Sr,ラマーシュのアフリカ旅行の話、アフリカは福島より涼しいそうです。自分の職場の話、日頃感じていることなどなど。話をしていくうちに、 自分の気持ちがほぐれていくのが分かります。

その中で特に興味深かったのは「もし今、自分で年齢を選べたら、何歳の自分になりますか。」というものです。短大の学生さんは、「小学生に戻ってやり直したい。」「65歳になってゆっくり時間を過ごしたい。」などがあったそうです。そういえば、私も20歳の頃早く年をとりたかったのを憶えています。年をとったら、今の葛藤も将来の不安もなくなって、平安な気持ちになれる気がしていました。ところが40歳を目の前にした今、葛藤は増えるばかりで不安はより現実的になっています。

進歩したことは…思いつきません。

年を重ねることで身につくことは、葛藤や不安とは別のところにあるのかもしれません。

7月)

=欠落=

6月)

6 月の例会は、聖霊が話題になりました。使徒言行録の4章には「ペトロは聖霊に満たされて言った」「祈りが終わると…みな聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした」とたくさん出てきます。聖霊の働きは「信じた人々の群れは心も思いも一つにし…すべてを共有していた」ことにも現れています。

聖霊の働きは人には見えません。またいつでも感じられるものではありません。しかし、砂を噛む思いをしている時でも、聖霊はいつでも私たち一人ひとりに働いていて、後からそれが聖霊の働きだったとわかることもしばしばです。見えないもの、感じられないものを信じて待つのは難しいことですが、実はそれが信仰の本質なのかもしれません。

5月)

今月の例会は、使徒言行録の3章を読みました。神殿に出かけたぺトロとヨハネは、そこにいた足の不自由な施しを乞う男をじっとみて「わたしたちを見なさい」と言います。「『…ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』そして、右手を取って彼を立ち上がらせた」

「わたしたちを見なさい」を読んだとき、足の不自由な男が言われたと同時に、読んでいる自分が言われた気がしました。「…この人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が…この人を完全にいやしたのです。」

私は、私を完全にいやすほど信仰をもっているだろうか。自信がありません。

(四月)

先日の例会では、新しい参加者を迎えいろいろな話をしました。使徒言行録の2章を読みましたが、そこに「すべての人に恐れが生じた」とあります「恐れ」とはこわがることではなく「喜びと不思議さを感じる」ことだそうです。だから、「神をおそれなさい」は、「神を敬いなさい」という意味ですが、さらに「神さまを信じる喜びと不思議さを感じなさい」ということになります。今まで私は「おそれる」=「こわがる」(罰をこわがる)、というイメージが強かったので、新しい気づきをもらいました。

また、印象深い発言がありました。「十字架を背負ってイエスさまについていくということは、自分の周りの人をありのままに受け入れることです。」その通りだと思います。しかしそれが一番難しいことだと感じます。しかし、聖霊は多くの場合周りの人を通して私たちにはたらきかけてきます。時には心地よい形で、時にはいやでいやでしかたない思いを伴って。

苦しみも喜びも不思議さもすべて聖霊()のはたらきです。「いずみとぶどうの会」が長い間続いているのもそのはたらきのひとつではないかと思います。聖霊のはたらきを消さないようにいつも目を開けていたいと感じます。

(平成163月)

いずみとぶどうの会ではマルコによる福音書を読み終わり、使徒言行録を読みはじめました。使徒言行録の作者は、ルカによる福音書の作者と同一人物だと考えられているそうです。同じ人物「テオフィロ」に献呈されていることが共に巻頭に書かれています。「テオフィロ」とは「神を愛するもの」という意味だそうです。ところでイエスの受難と復活をその目で見た後でも弟子たちは「…あなたがたは間もなく聖霊によって洗礼を授けられるからである。」というイエスの言葉に「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか。」と答えます。まだ政治的な解放を期待しているのがよくわかります。愚かで従順な弟子たちはどこか自分に重なります。とにかく、イエスを殺した敵意が充満しているイスラエルの中で120人ほどの弟子たちはひとつになって祈っています。その必死さはその後の大きな変化を予感させます。