2016年1月19日火曜日

ローマの信徒への手紙9

 「ローマの信徒への手紙」9章です。ここでパウロは、キリストを信じないユダヤ人とキリスト信じる異邦人について話します。「・・・異邦人が・・・信仰による義を得ました。しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。・・・イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。」自力の行い、律法の遵守をいくら積み上げていっても、決して神の国には届きません。では、信仰とは?
ある少女のおじいさんが危篤状態で入院しています。その苦しむさまを見て、その子は枕元で「(痛みを)半分もらいたい。」と言いました。「ありがとう。」の返事がありました。ある修道者が末期ガンで死の床にありました。痛みを和らげるために「モルヒネを打ちましょうか。」と言う医師に「結構です。私が痛むとその分だれかの痛みが減るような気がします。」と言いました。
守らないで、差し出して、委ねること、そして、引き受けること。苦しい時は、ただただ理不尽に苦しい。だから、転げ回って苦しめばいい。でも、逃げないで、その場にいっぱいであり続ける。苦しみが去った後、変えられた自分がそこにある。もしかしたら、それが復活なのかもしれません。