2015年4月26日日曜日

ローマの信徒への手紙 3章

「ローマの信徒への手紙」3章です。ここでは、正しい者は一人もいない、と言われます。どんな人も皆、罪の下にあり、どんなに神の掟である律法を実行しても罪の自覚しか生じない、とされます。正しい行いをしようとすればするほど、そこに届かない自分があらわになります。刻苦勉励して、自分は正しい行いをしていると思ったとたんに、それをしていない隣人が許せなくなります。ただイエスを信じることによってのみ義とされる、と言います。人の矜持やプライドはどこにあるのか。「それは、取り除かれました。」とあっさり言われてしまいます。律法の行いによるのではなく、信仰によって人は義とされる、と言います。信仰とは、「神を畏れる」こと。「畏れる」とは、「敬いかしこまる」こと。「かしこまる」とは、「正座して居ずまいをただす」こと。自分が造られた一段低い者であることを思い、じっと居ずまいをただして待てば、それはおのずからやってくる。曖昧さに耐え、自分の論理で対象を切り裂きたい欲望をこらえて待っていると、語るべき言葉、とるべき行いが示される。確信と活力と、そして愛と共に。