2014年1月13日月曜日

2月のお知らせ

ルカ福音書の16節を読みました。「不正な管理人のたとえ」は、不思議でわかりにくい話です。主人からの借財を管理人はこっそり減らしてやり、自分が失職した時に備えて恩を売ります。そのやり方を、主人は怒るのではなく褒めます。不正にまみれた富の使い方が示唆されます。金に執着せず借財は気前よく棒引きにしなさいということでしょう。「神と富とに仕えることはできない」のです。金に執着するファリサイ派が、イエスをあざ笑うと「神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。」と言います。きっと当時は借財の取り立てを容赦なく行うことは正義だったのでしょう。棒引きするなど考えられなかったのだと思います。また、門前で貧しく死んだラザロに、金持ちは何一つ恵もうとしませんでした。死後、立場は逆転し、ラザロはアブラハムの宴席に招かれ、金持ちは陰府で苛まれます。お金や財産とのつきあい方は、現代でも難しく、ともすれば自分のためにお金を使うのではなく、お金に自分が振り回されている時があります。そんな時は、みごとに神様のことを忘れています。野の百合のたとえを思い出しましょう。神様は、私たちを忘れず養い、必要なものを与えてくださいます。