2015年7月19日日曜日
ローマの信徒への手紙 5章
「ローマの信徒への手紙」5章です。ここでは、律法によって義とされるのではなく、信仰によって義とされることが語られます。戒律と掟を守るから、正しいのではありません。律法は、それを守れないことによってかえって罪を作り、他者への裁きを生みます。
信仰によって義(正しい)とされるとは、キリストの流した血によって、自分の中に巣くう多くの罪が、赦された喜びそのものに成ることです。それは、私たちの努力で勝ち得たものではなく、ただ与えられ、与えられ続けるものです。まさに恵みです。そこから目を逸らさなければ「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み」ます。自分の外から、思わぬところから、よいものがきっと与えられるという希望は、「聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているから」やってくるのです。怒りであっても喜びであっても、自分の思いだけで心を満たすのではなく、聖霊によって注がれるみちびきが入る場所を、空けておきませんか。ほんのわずかな隙間でも、そこからすべてが始まり、それがすべてとなるはずです。
「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれます。…恵みも義によって支配しつつ…永遠の命に導くのです。」
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