2016年8月30日火曜日





Sr,ラマーシュがご帰国されたので、3ヶ月ぶりに例会を開きます。皆さま、ぜひご参加ください。

6月の例会の内容は、前のはがきでお知らせしたので、今回は、恐縮ではありますが、わたしが読んだイエスについての本の感想を載せさせていただきます。

『ユダヤ人イエス』

ダヴィド・フルッサー 著 教文館

県立図書館の書棚で見つけた。「神の子」というレッテルをはがしたイエス像を知りたかった。キリスト論を離れ、生身のイエスが伝えようとしたことを知りたかった。また、それがどんな時代背景の中で言われたのかという必然性を知りたかった。あまり声高に言われないが、イエス自身はユダヤ教の枠組みの中で考え、ユダヤ人の仲間にむかって、ユダヤ教のメシアとして呼びかけ、一部のユダヤ人の反感を買い、十字架につけられた。その教えの中に、ユダヤ教を超える普遍性を持っていたが故に、キリスト教として、死後独立した宗教になっていく。その立役者は、生前のイエスに一度も会ったことのない弟子、パウロである。それはさておき、この著者は、ユダヤ教徒である。訳者あとがきを読むと、ユダヤ人にとって、イエスについて語ったり新約聖書を読んだりすることは一種のタブーらしい。民族の歴史を考えると、さもありなん、と思う。しかし、フルッサーはイエスの教えと、そのユダヤ教の中の位置づけ、ユダヤ人としての新約聖書の読み方に、正面から切り込んでいく。イエスの教えは、同時代のユダヤ教文書と新約聖書を並べて分析してみて、初めて納得がいくものが実に多い。歴史の中のイエス像が、はっきり見えた一冊であった。イエスについてのすべてを歴史と学問的分析の遡上に載せて、徹底的に相対化した上で、それでも救い主として信仰するメンタリティを持ちたいと思う。

読んでよかったか。うん、聖書の読み方が広がった。物語の仕掛けの後ろ側が見えた。それを知った上で、なお物語が語り伝えようとすることと一つになろうと思う。

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