2007年7月16日月曜日

10月)

10月は、使徒言行録の67章を読みました。ステファノの殉教の場面です。ステファノは自分の正統性を主張する弁明の最後に最高法院の祭司たちを糾弾します。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたはいつも聖霊に逆らっています。…あなたがたがその方を裏切る者、殺すものとなった。」人々は「激しく怒り」「歯ぎしりし」「大声で叫び」ステファノの言葉が聞こえないよう「耳を手でふさぎ」石を投げて殺してしまいます。この祭司たちは、悪人ではありません。ただ自分たちが信じていることに堅い信念を持っていただけです。分かち合いの中で「私たちは信念を持ってがんばればがんばるほど分裂する。」という言葉を聞きました。殺し合いや戦争をする人は悪人ではなく、ただ自分の信念を信じて疑わないだけです。

聖書の原語では「霊と風と息」は、同じ言葉を使うそうです。どんな人でもその人の息はすべて神様の霊の働きです。どんな人の中にも霊が息づいています。だから自分に投げられたどんな言葉も神の霊の言葉です。自分に都合のよい「雄牛の像」に神を見ることは簡単です。でも、本当は今隣で生きている人の中に神様はいて、私たちに語りかけます。肩の力を抜いて、風の音を聞くように神様の生の言葉を聞きましょう。

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