2007年7月16日月曜日

11月)

11月の例会では、使徒言行録の8章を読みました。そこに聖霊を受ける話が出てきます。聖書の中では聖霊がよく奇跡を伴って出てきます。現代でも異言や癒しを中心とした運動があります。私は正直死人が生き返ったり中風患者が突然直ったりする話をにわかには信じられません。聖霊とは何でしょうか。奇跡を起こす力でしょうか。この8章に魔術師シモンが出てきます。彼は洗礼も受けフィリポにつき従っていたのですが、聖霊を授ける力を金で買おうとしています。いくらフィリポのそばにいても彼にとって聖霊は奇跡を起こす不思議な力でしかなかったのでしょう。それは大きな力ですが、魔術の延長でしかありません。しかし、「霊」は同時にフィリポにエチオピアの高官を追いかけさせ、彼にキリストを知らせます。奇跡の背後にあるもの、奇跡を通して語られる言葉に耳を傾けなければ聖霊の意味は分からない気がします。イエスの言葉に『見ないのに信じる人は幸いである。』というものがあります。奇跡が起こるのを見て信じるのか、証拠がないと信じないのか、もっと信用できる証拠があれば別のものを信じるのか。それではまるで物を買うのと同じです。疑りぶかい私に絶対的に正しい真実を与えてくれるのが聖霊の力なのかもしれません。

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