2007年7月16日月曜日

(四月)

例会では、使徒言行録の二十二・二十三章を読みました。パウロは、エルサレムで自分の回心を話し、福音を伝えようとします。しかし、人々は「こんな男は、地上から除いてしまえ。」と言い、最高法院では、パウロの言葉をめぐって激論が起こります。パウロを暗殺する誓いを立てるものさえ現れます。なぜパウロは同胞であるユダヤ人からこんなにも憎まれるのでしょうか。それは、イエスが救い主(メシア)であることを彼らが受け入れないからです。それ以上に、私にはパウロとユダヤ人では、見ているものが違うような気がします。パウロには主イエスが「勇気を出せ。」と直接語りかけます。そこには、神から息吹かれた確信と喜びがあります。一方律法を遵守するユダヤ人には人としての思い込みや頑なさを感じます。死を恐れずに福音の喜びを伝える人に対しては、これに帰依するか殺してしまうかのどちらかしかないと言います。さて、もし私が当時のエルサレムにいるとしたら、どちらの道をとるでしょうか。自分の思いや自分の正義をすべて投げ捨ててパウロが伝える福音を信じると、言い切る自信がありません。

0 件のコメント: