2017年3月20日月曜日

マタイによる福音書 6章

マタイ福音書の6章です。ここでは施しをする時、祈る時、断食する時に、偽善者のように他の人に見せるためではなく密かにしなさい、と言われます。ところで、私たちが自分のよいところを見せたい一番の他人は、実は自分の中にいる気がします。「自分はよく祈っている、周りの人のために努力している、神さまのことをいつも感じている。」と思う時、それは自分の中で自分を採点している自分に見て欲しいのです。自分はよくやっている、自分は神さまに忠実だ、と思い込みたいのです。逆に、自分で採点する点数が低い人がいます。自分はダメな人間だ、生きる価値もない、とひたすら必要以上に自分を貶めます。一見逆に見えますが、自分の視野が自分でいっぱいになっていることに変わりはありません。自分など実はどうでもいいのです。どんなにしゃっちょこばっても、所詮は塵の固まりです。自分を通して顕れる神の息吹は、自分の価値とは無関係です。自分を見ている左手が、ことを行う右手を合わさった時、分裂している自分が大元で一つであり、それは神とひとつながりであると気づく時、神の国が現れるのかもしれません。「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」

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