2017年3月5日日曜日

マタイによる福音書 5章

マタイによる福音書5章です。ここでイエスは「わたしが来たのは律法を廃止するためではなく完成するためである。」と言います。律法とは「決まり」です。決まりは、それを守るか破るかが重要になり、またどういう状態になれば破ったことになるかという解釈が中心になります。『人を殺した者は裁きを受ける』としたら、怪我をさせた場合は?正当防衛の場合は?など様々な場合を想定し、細目を決める必要が出てきます。まさに法律論であり、それが律法学者たちの仕事でもあったのでしょう。しかし、「正しさ」の解釈の中に、神への信仰はありません。イエスは「兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、・・・まず行って兄弟と仲直りをし、それから供え物を捧げなさい。」と言い「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。」と迫ります。これは「決まり」ではなく、私たちの在り方そのものに切り込んできます。一見すると厳しい要求を突きつけられる気がします。でも私はイエスに「今変われ。私の目の前で変われ。自分を捨てろ。」と命がけで迫られている気がします。自分にできるかどうか躊躇するのではなく、ずっと正しくいられるか思い悩むのでもなく、「はい」と答えること。自分が一歩進み、見える風景が変わり、大地が動きます。「跳べ!」と迫るイエスに、私は深い愛を感じます。

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