2017年6月27日火曜日

マタイ福音書 9章


マタイ福音書の9章です。ここでは実に多くの癒しの奇跡が行われます。癒しの奇跡の話に接すると、「そんなばかなことが、起こるはずはない。」と思い「これは意味深い比喩なのだ。」と、無理に自分を納得させようとします。でも起こるもの、起こるはずはないもの、起こりえるもの、の基準を決めているのは、誰でしょう。それは「わたし」です。この「わたし」は、死んだ少女を眠っている、と言ったイエスをあざ笑う人々、イエスの力を悪霊の力と言うファリサイ派と同じです。信じられないものを最初から信じようとしないならば、「わたし」の信仰は、自分の生き方を整理するための方便でしかありません。それはエゴイズムです。「わたしにできると信じるのか。」というイエスの問いかけに、二人の盲人と同じように「はい、主よ。」と答える時、健康な「わたし」の目も見えるようになる気がします。イエスの力で、普通は起こりえないことが起こるのならば、実は普通に起こっていることすべてにも、イエスの力が働いているのではないでしょうか。「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」

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