2007年7月16日月曜日

(三月)

使徒言行録の十二章を読みました。しかし、話はパウロの手紙が中心になりました。パウロは初代教会の中でもラディカルすぎて孤立していきます。十、十一章で神の恵みが異邦人にも与えられることがわかった後、パウロは伝道旅行に出かけます。そして、自分が宣教した土地に後から手紙を送り、私が伝えたものの他に福音はない、と宣言し他の福音に対して「呪われるがよい」と言います。この激しさはどこから来るのでしょうか。普通、人は年を取ったら穏やかになるといいますが、パウロは七十近くなっても同じ激しさを持っています。きっと疑いえない確信があるのでしょう。それは、自分の回心の体験であり、その時聞いた神の呼びかけだと思います。この激しさと、イエスが安息日に麦の穂を刈るのをとがめたファリサイ派の根本的ちがいはなんでしょうか。人をとがめる視線と愛を伝えようとする態度のちがいでしょう。でもこの二つは、ともすると自分の中で知らないうちに入れ替わっています。自分が人に迫るとき、神の愛の名の元に自分の基準でただとがめようとしているのか、それともたとえ態度は厳しくても、自分を通して神が愛を伝えようとしているのか、よくよく吟味しなくてはなりません。

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