2007年7月16日月曜日

(二月)

二月の例会では、使徒言行録の二十章を読みました。ここでパウロはエルサレムに行く前の決意を告げます。「ただ、投獄と苦難が私を待ち受けている…しかし、自分の決められた道を走りとおし、…神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度と私の顔を見ることがないと私には分かっています。」その後、パウロは皆と一緒に祈り、人々は激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻します。パウロのこの強さ、疑いのなさはいったいどこから来るのでしょうか。「神の呼びかけに応じた」という言葉ではよく分かりません。「神の福音を人々に告げ知らせる喜び」と言われてもそれがこれだけの苦難をものともしない力になるのでしょうか。言葉や理屈では分かるのですが私には実感がわきません。それが本当に分かる時は自分が変えられる時なのかも知れません。

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